秋山 憲二Akiyama Kenji
愛媛県今治市宮ヶ崎甲に生まれる。 愛媛県立冨田中学校卒業後、少年自衛隊、 長距離トラックの運転手など、二十三の職業を経て 昭和四十六年(二十四歳より絵師としての人生を歩む)。 昭和五十年より肥前有田にて十五年の研鑽のあと、 平成二年より砥部に孤蕭窯を構える。
風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し
壮士(そうし)一たび去りて復(ま)た還(かえ)らず
※壮士とは意気盛ん勇士。勇士の名はこの詩の作者荊軻。
※易水は川の名。今の北京近く、北方を流れる川。
勇士なる荊軻は今、易水にいる。
易水にいるのは荊軻だけではない。衛の皇太子丹(たん)とその側近及び友人の高漸離(こうぜんり)。皆な喪服を着ている。
喪服を着た連中が、衛から秦(しん)へ行く荊軻を見送る。
荊軻が秦へ行く目的は、丹に頼まれ、秦の王(後の始皇帝)を殺すため。
旅立つ易水には風がビュービュー吹き、水はヒヤリと冷たい。
寒々とした中、勇士の荊軻は秦の王を殺すために、易水を立つ。
いったんこの地を去ってしまえば、もはや戻ることはない。なぜ戻ることはない?
荊軻は暗殺者だから。暗殺者は一人必殺。最期は自死する。それが暗殺者の使命。
易水を立ち、秦へ着いた荊軻。短刀で秦の王を追うが、殺すことができず、逆に捕まり殺される。
最期のひと言「事が成らなかったが秦の王を生け捕りにし、皇太子の丹へ渡したかった」と。
蕭蕭を孤蕭とし、上の漢詩から取りました。
死を賭して行動する、そう生きたいものです。
秋山 憲二